白い部分

白い部分


素材 くり抜いた板、カンバス、炭


22年前 1998年ローマでの個展の際このシリーズを発表した。

このシリーズは パリでYvon Lambert がナイスワークと言ったシリーズでもある。


絵を切り刻むことから始め 木枠を解体し そして燃やした。


カンバスの木枠を燃やし できた炭を水のりで溶いてインクを作り使用する。

最初の時点では 水を使わず炭だけの制作であった 定着にフキサチーフを使う際屋外へ出た その時雨粒が炭の部分へ その時わかった


ローマ個展の際 作品について宇宙のようだと語る人がいた

私はカンバスという物体と向き合っていたのであるが生命と向き合っていたからだ


私は美術史において圧倒的にすごい作品を生み出してやろうという野心があった

しかしかだからか 私の本能は生命へと向かう


22年後 私は新たにこのシリーズと向き合っている

デュシャン以降 現代美術は拡散していったが 結局この一点に帰ってきたようだ


フランクステラは 絵を物体スレスレのところへと鮮やかに展開したが

私は 物体を絵スレスレのところへと完璧に展開する


デュシャン セザンヌからの水脈はこの一点にたどり着く

この一点とは生命である


Hideto Imai 2019年


赤という時 緑を認識している

Noという時 Yesを認識している

夜という時 昼を認識している

平面という時 立体を認識している

世界はそのようにできている


言葉にならないモヤモヤした感覚

言葉で整理できるとスッキリするように

言葉にするとはネガとポジとの関係性を鮮明にすること

世界はそのようにできている


生命とは難解でとらえどころがなく

だからこそ シンプルで美しい実在である

生命をシンプルに理解できた時


コンセプトを付け加える

作品への入り口をいろんな角度から提供する


絵を描き始めた頃

カンバスに油絵を描くと 絵の具を積み重ねゴタゴタした物体のようになってしまう

板に描き出すと 木の年輪に色を塗ってしまう

だからこそ 今の到達点は必然である


生きることと一緒で

イメージを持ってことに挑み(内容)

状況によって(与えられた条件)(形式)

その対応によって美しい行為が生まれる

ものを選ぶことも同じ(ready made)


絵を描くことは生きることとは同じ

生きることのクオリティが上がれば 必然的に作品のクオリティが上がる

だから私はよく生きるにはどうすればいいか いつも考える

そして全力で生きる


Hideto Imai 2019年



移ろいゆく季節感など 0と1の間をさまよう美の感覚が日本人の美意識の中に存在するのは事実である


日本人はyes とNoを はっきり言わない、 家のつくりも内と外が曖昧な軒下の部分が存在する


その辺を踏まえ、日本人の遺伝子を持ちローマで多感な時期を生きた私の作品を見ていただければ

日本人の遺伝子とタブロー

日本人の遺伝子と西洋(Contemporary Art)


芸術のための芸術でなく 社会のための、人間のための芸術 それが同時代のアーティストの使命である

芸術作品は作家の手を離れ 世界全体を包み込む

その責任を持って我々アーティストは作品を生み出す

それは責任感と覚悟である


Hideto Imai 2019